母は働き者だった。自分で事業をしながら、家事もきちんとこなす。私は、よく働く母の背中を見て育った。

忙しくても、たくさんの手料理を作ってくれた母。大勢のスタッフとコミュニケーションをとりながら、自分も現場に出て体当たりで業務をこなす母。そんな母のことを、いつもかっこいいと思っていた。

私はというと就職よりも先に出産し、子育てをしながら社会人になった。しばらくは会社勤めを続けてきたが、やっぱり私も母と同じように起業する道を選んだ。「わたしも母のようにかっこよく生きたい」そんな気持ちが根底にあり、自分の背中を押してきたからだと思う。

忘れもしない、2019年6月10日。この日は六曜でいうと「赤口」という日で「正午のみ吉」とされる日だった。最適とは言えない日取りだったが、日程はここしかない。今にも雨が降り出しそうな重たい雲の下、市川税務署へ出向いた。

お昼に差しかかる頃、Googleマップを覗き込みながら税務署に到着。窓口へ「開業届」という名の書類を恐る恐る差し出すと、即座に確認する職員。「あー、ここはこうで・・・はいはい、大丈夫ですね」と事務的な会話のあと、日付のスタンプを”ボンッ”と押され、わたしは「個人事業主」として受理された。一瞬の出来事だった。

起業するまでは、青色申告って何だとかを調べ、屋号はどうしようとか、そもそも何を事業として記入しようとか、あたふたしながら用紙に記入したものの、開業手続きってもんはこんな簡単に済むのだと唖然としつつ、出したからといって急に何かが変わるわけでもなく、ただひとりとぼとぼと税務署を後にした。

表に出て数百メートルのところに、小さな寿司屋があった。ちょうどお昼どきで空いたお腹が「ぐー」と主張してきたので、おもわず暖簾をくぐる。握ってもらうタイプの寿司屋はなかなか入りづらいものだが、外にかかげてあった「ランチメニュー〇〇円」という看板を一瞥してから入ったので怖くはなかった。

ほどなくしてあがりをお盆に乗せやってきた女将に、「ランチを1つ。」と即座に伝え、差し出されたずっしりと大きな湯呑を両手で握る。淹れたての緑茶の温かさが手のひらから伝わり、なんとなくほっとする。会社員という安定と引き換えに得た、個人事業主という自由と恐怖が、湯呑の中で渦巻いているような、そんな気がした。とにかく、まずは今この時を祝おうと、寿司を味わった。

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これが、起業した2019年6月10日の出来事で、2年前に最初の記事を執筆。それを再編集し、現在その続きを書いています。

2年前の自分は、”いま大切にしていることは、「目の前にいる人の幸せを考える」こと”という言葉も記していました。さらに2年が経った今でも、それは変わっていません。

とにかくまずは、目の前にいる人を笑顔にすることから、極端にいうと自分自身から幸せにならなきゃダメで、そうでなければ自分以外の人のことを想うことなんてできないと、強く思います。

私は、2019年に個人事業主、その後法人成りして、トータル4年間事業を続けてきました。小さな事業体ですが、おかげさまで色々な仕事を任せていただき、チャレンジを重ねることが出来ました。この場を借りて感謝申し上げます。

開業届を出して、あっという間の4年間でしたが、とても濃密で、実りある期間だったと思います。コロナ禍で揺れ動く世の中も、なんとか切り抜けてきました。

一生は一回しかなくて、この文章を書いた後にポックリ、なんてことだってあり得るわけなので、せっかくなら自分が選んだ道で、やりたいこと、なりたい自分をどんどん叶えていけたらいいですね。気持ちを新たに、これからも夢を持ちながら楽しく過ごしていきたいです。